1990年代後半、仕事でアメリカやマレーシアへの出張が多くありました。飛行機が苦手だった私は「落ちたらどうしよう」と不安を抱えながらも、未知の土地マレーシアで現地スタッフと一緒に働けることに大きな魅力を感じていました。
当時は8時間以上のフライトにはビジネスクラスが認められており、最初のマレーシア出張ではシンガポール航空のエコノミークラスでしたが、その後はすべてビジネスクラスでの渡航となりました。飛行機嫌いでマイルにも興味がなく、何万マイルも失効させてしまったのは、今思えばもったいなかったと思います。
出張中は、ルネッサンスやコートヤードといったホテルに1ヶ月以上滞在することもありました。プライベートでも2002年の日韓W杯で韓国、2006年にバリ島、2008年にはペナン島へ旅行するなど、海外との関わりは続いています。ただ、特定の航空会社にこだわることはなく、安く行ければOKというスタンスでした。。
2010年には海外プロジェクトの担当となり、打ち合わせのためドイツや中国への出張が始まりました。チケット手配はグループ会社が行ってくれるため、私は日程などを指定のフォームに記入するだけでしたが、その中にマイレージ番号の記入欄がありました。ちょうどANA便を利用予定だったため、急いでANAマイレージクラブに登録し、番号を取得して記入しました。
最初の出張は1月下旬、エコノミークラスでフランクフルトへ。普通運賃かつ長距離路線だったため、往復でなんと13,000プレミアムポイント(P.P.)以上を獲得。この後、5月と7月に中国・上海、8月に再びドイツへの出張があり、P.P.は早くも30,000を突破。頑張れば、ANAのプラチナメンバーに必要な50,000P.P.も見えてきました。
8月の出張からは、同じエコノミーでもCクラス(予約クラス)で数万円しか変わらず、プレミアムエコノミーを手配してもらうことに。これが大正解で、到着後の仕事が格段に楽になりました。
そして、8月の出張後、年内にもう一度ドイツ出張がほぼ確定。しかし、まだP.P.が少し足りない…。このチャンスを逃す手はないと考え、プライベートでマレーシア・ペナン島(ANA+シンガポール航空)と、未踏の地・鹿児島への温泉旅行を計画し、実行しました。
11月には予定通りドイツ出張があり、ついに50,000P.P.に到達。さらに12月にも出張予定があり、帰国後はANAのWebサイトでステータス更新を毎日チェックする日々。そして12月8日、ついに憧れの「ANAスーパーフライヤーズカード」が手元に届きました。そのときの達成感は、今でも忘れられません。
2010年12月8日、ついに憧れの「ANAスーパーフライヤーズカード(SFC)」が届きました。達成感に浸る暇もなく、翌日にはまたドイツ出張。まさかこのフライトで、SFCの真価を目の当たりにするとは思いもよりませんでした。
12月9日、成田発ミュンヘン行きの便で現地に到着。ところが、ヨーロッパ各地での大雪により、乗継予定のフランクフルト便がまさかの欠航。ミュンヘン空港は大混雑、航空会社のカウンターには長蛇の列。泣きながら途方に暮れる親子、座り込む旅行者たち…。この行列に並んでいては、当日中の移動は不可能に思えました。
「SFCも手に入ったし、とりあえずラウンジで考えよう」と、ひとまずルフトハンザのラウンジへ向かうことに。途中、ルフトハンザのカウンターで、妙に空いている列が目に入りました。よく見ると、上級会員専用のカウンターのようで、入口でステータスを確認している様子。
これはチャンス!と、SFCカードを提示して列に並びました。順番が来るまでの間、「本当に大丈夫かな?」と期待と不安が入り混じる中、落ち着いた雰囲気の年配スタッフに状況を説明。案の定、フランクフルト便は完全に欠航。しかも悪天候による欠航なので、宿泊費の補償もなし…。
それでも「今日中にボンへ移動したい」と伝えると、スタッフが端末で代替案を確認。「ケルン/ボン空港行きなら、今日飛べそうです」との提案に、即答で「それでお願いします!」とお願いし、チケットを発券してもらえました。
初のSFCラウンジ体験は、混雑はしていたものの、カウンター席を確保し、ビールとチーズ、ハムを手にして軽食。こうした落ち着ける空間が、混乱の中でどれだけありがたかったことか。
予定通りの時間にケルン/ボン行きの便は離陸し、無事到着。そこからはバスでボン中央駅へ、そしてようやく深夜にホテルにチェックイン。
この出張で、SFCの“威力”と価値を心底実感することとなりました。
私の場合はこの様な普通経験しないであろう稀な経験の中でSFCの恩恵を受けたので、
旅行好きで年1回以上は海外旅行に行かれる方であるならば、
SFCなどの上級会員資格の取得をお薦めしております